18May
遅くなりましたが、元日の大地震に関する記事になります。
すでに日々の報道で能登半島を中心に発生した大地震については、どなたも心を痛めていることと思います。地震の直後、X(旧Twitter)には「#宮城県民」で「とにかに逃げろ!」のツイートをたくさん見ました。
日本海側ではあまり津波が来ない、と思っているかたもいらっしゃるかも知れません。しかし津波は起こりうることで、しかも太平洋側よりも到達時間が早いといわれています。昭和58年(1983年)に発生した日本海中部地震では、男鹿半島に遠足に来ていた子どもたちが津波の犠牲になっています。
あらためて備蓄品や地震が起きたときの行動を復習する
私は2011年の東日本大震災(以降、311という)の被災地に住んでいます。居住地は内陸部のため、津波被害はありませんでした。
今年2024年1月1日の夕方にスマホやタブレットのアラームが鳴り、かなり大きな揺れが来ることを覚悟しました。ところが、数秒ほど間があき、「もしかして誤報?」と思ったところに揺れを感じました。
今回の震源地は東北ではなく、北陸地方です。北陸には親しい友人がいて、調べたところその友人の地域は震度5強と出ています。しかし、私は地震直後は被災地の友人に電話もメールもしませんでした。
311の際に、安否を気遣う電話やメールが殺到し、通信が遮断されたからです。その北陸の友人には私より連絡を優先する人がいるであろうことは、想像に難くありません。私は翌日にでも様子を見て連絡をしてみようと思いました。
災害の報道やネットを見続けることについて
今回「大津波警報」が発令されました。大津波警報発令は、311以来のことです。地震が発生してから様子が気になり、私はかなり長い時間テレビの報道を見続けていました。
そのうち「大津波警報」が連呼されるのを聞き、しだいに涙が出てきて息苦しくなってきました。私は内陸部在住ですので311の際も津波被害にはあっていません。それでも、当時の惨状を毎日のように繰り返し観ていた私にとっては、精神的に少しきつかったのかもしれません。
他の地方の人はいったん情報から離れては?
X(旧Twitter)には東北の人で「フラッシュバックを起こした」という投稿も見られました。テレビから流れる「大津波が来ます!避難してください!」に加えて、「東日本大震災を思い出してください!」も確かに動揺したかもしれません。
私自身は報道のかたたちが311を持ち出したり、あえて思い出させようとしていたことについては、賛同します。二度と繰り返してはいけないことですから。
しかし今現在、自分が被災地に対して何もできないと判断したら、いったん情報から離れることも必要かもしれません。私も、311の際に他の地域よりは被害が少なかったとはいえ、やはり311を思い出すと涙がにじんで来るのです。高校の同級生が津波で亡くなったと、だいぶたってから知らされました。隣県の友人宅は津波により家の土台しか残っていません。
我が家は1か月以上ガスが止まり、私は水道の水でシャンプーして出勤していました。お風呂には1か月以上入っていません。それでも、家は残っているし家族に死傷者もいませんでした。「沿岸の方々に比べたら被害は軽い、つらいとかしんどいとか言ってはいけない」と思って過ごしました。
今回の北陸の地震と津波は他人事とは思えず、長い間テレビに張り付いていました。ただ、考えてみれば私は現時点で北陸の被災者の方々に対してまったくの無力で、何もしてさしあげられません。それで10年以上前の311の記憶がよみがえりメンタルが不安定になるのなら、報道からいったん離れることも必要だと感じました。
あらためて防災用品のチェックを
311以来、防災には気を遣っているつもりですが、抜けている部分もあります。今回の地震をで家中の懐中電灯をチェックしたところ、1個は電池が切れていました。1か月に1回日にちを決めて、防災グッズのチェックを定期的に行うとよいですね。