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ヨウコのゆるふわライフ

東日本大震災から12年|防災意識を持ち続ける

東日本大震災である避難所に届いたメッセージ

はじめに

大規模災害となった東日本大震災(以降、311とする)から12年が過ぎました。

3月11日の午後2時46分は、私にとっては忘れられない日時です。

観測史上最大となった地震が起きた2011年のその瞬間、私は職場で仕事中でした。

私の住む地方は三陸沖を震源とする地震が多く、過去にも大きな地震が発生しています。

そのため、311の際も発生時は「これはかなり強いな。しかも長い」とは思ったものの、その後に起きたことを予測することはできませんでした。

東日本大震災後の意識の変化

地震が多い地域に住んではいますが、生まれてから生活に困るほどの地震を経験していません。

そのため、311の発災時は防災意識も今よりずっと低く、備蓄もほとんどありませんでした。

結果、ライフラインや流通の停止により、「食べるものがない」「飲み水もない」日々が続くことになったのです。

発災前と後での、私の防災意識の変化の一例です。

左が311以前、右がそれ以降です。

食料、日用品はなくなる直前に購入 → 買い置きがないと不安で多めに購入

ガソリンはなくなる寸前に給油 → こまめに満タンにする

懐中電灯やラジオのチェックをしない → 電池や動作確認をマメにする

指定避難所がどこかわからない → 指定避難所を把握している

ハザードマップを知らない → 市のハザードマップを見て頭に入れてある

おしゃれなサンダル → フラットシューズかスニーカー

 

地震に備えた最近の購入品

トイレットペーパーやティッシュペーパーは、多めに備蓄しています。

ペットボトルの水や缶詰、パックご飯など長期保存が効く食料もローリングストックで備蓄。

その他、今年になって買い足したものがあります。

カセットコンロ

311のときに、九州の友人が送ってくれたものが家にありました。

このカセットコンロと、一緒に送ってくれたインスタントラーメンとパックのお赤飯で食事がとれました。

当時の写真です。

しかし、カセットコンロは使用頻度に関わらず、経年劣化により10年が寿命とのこと。

そこで、楽天のお買い物マラソン時に買い替えました。

ガスボンベは最近新しくしていて、だいぶ先まで使えます。

イワタニの製品で、私が購入したものは旧タイプのためか、点火つまみの色が違います。

薄型になり、おしゃれです。

届いてすぐに動作確認しました。

楽天市場でたくさんヒットしたなかから、比較的安価なものを選びました。

簡易トイレ

311では発災直後はまだ水が出ましたので、浴槽、バケツ、その他あらゆる容器に水をくみ、トイレは浴槽の水で流しました。

最近、防災用品のなかに簡易トイレがなかったことに気づき購入。

市販の防災セットは購入せず

現在、多くの防災セットが販売されています。

たとえば、このような商品です。

なかなか便利そうですが、私は購入を見送っています。

最低限必要なものがパッキングされているので、忙しい人や何を用意したらよいか不安な人にはオススメです。

私の場合は、すでに家にあるものや311後にそろえて来たものがあるので、それらを大きな箱に入れてひとまとめにしています。

家族構成や必要なものが各家庭により異なりますので、市販の防災セットを購入して、中身を足したり引いたりという方法もあります。

持病がある場合の心がまえ

避難所に行かなくてはならなくなった、または遠方で被災したなどの場合、基礎疾患があって薬を切らせない人は最低でも3日分の薬は必要と考えます。

非難時にとっさに薬を持てればよいのですが、慌てていると持ち出せないこともあるでしょう。

「おくすり手帳」を非難時に持っていたとしても、大規模災害では薬そのものがすぐに手に入るとは限りません。

あらかじめ非常用持ち出しバッグや、普段使っているバッグのなかに3日分の薬を入れておくと安心です。

私は現在、多くの薬を服用中で、なかには服用を中断すると困ったことになる薬も含まれているのです。

ふだんから、処方された薬を1回分ずつ100円ショップで買ったカードサイズの袋に入れています。

1回分の薬を1つの袋に入れておくことで、あわただしい朝の服薬を楽にするためです。

この小袋を3つ、常にバッグに入れています。

昨年の3月に震度6の大地震に見舞われ、翌日がちょうど通院している病院の受診日でした。

その際「次の受診日までの分より、少し多めにお薬を出していただけますか」とお願いし、常に予備の薬を持つようにしています。

去年の地震では交通機関が全面ストップ、新幹線が脱線するという甚大な被害に見舞われました。

高速道の損壊などもあり、翌日の病院の外来はガラガラでした。

つまり、予約日に受診できなかった患者さんたちがたくさんいたわけです。

私もなんらかの事情で予定通り受診できないことがこの先あるかもしれないと思い、多めに薬を出してもらいました。

私は幸いにして病院から車で15分程度のところに住んでいるため、震度6の地震の翌日でも診察を受けられたのです。

通院先が遠方で、大災害が発生したら薬をもらいに行けない可能性のある人は、予備の薬を持つのが安心だと思います。

おわりに

早いものであれから12年。

3月11日の午後2時46分には、可能な限り黙とうを行ってきました。

私は内陸部に住んでいるため、津波の被害には遭っていません。

2011年の5月と7月に、宮城県と岩手県の沿岸部にわずかですが支援物資を積み、車を走らせたのが昨日のことのようです。

亡くなられたかたがたのご冥福をお祈りします。

 

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